2017
03.10

塚田圭一の想い出を披露しあう会

できごと


出逢いもあれば別れもある。

12月31日に亡くなられた塚田圭一先生の『塚田圭一の想い出を披露しあう会』にお招き頂きました。訃報が届いたのは1月28日のこと。ご本人たってのご希望で家族葬、すでに納骨も済んでおいででしたので私にとっては告別式にも代わる機会。やっと先生にお目にかかることができました。




場所は明治記念館。不思議なもので道すがら今日に限って先生とよく似た御髪、お年頃の男性が目に入ってきます。そうか、先生も一緒に会場に向かっておいでなのだわとか、いや、先生ならいつものように颯爽と愛車ベンツで乗りつけるに違いないなど、あれこれ思いながら信濃町へ。駅に着いて見上げるとブルーグレーの空に穏やでやさしい月が輝きだした時刻でした。





この会は塚田家のみなさまと先生の最後の職場、共同テレビジョンの方々が中心となって設けてくださったもの。公然とお声掛けすると千人を上回る列席者となってしまうということで、ごくごく近しいご縁の深い方のみ約200名が出席となりました。ご親族は勿論、お友だち、かつての同僚、部下、先生がこよなく愛した歌舞伎界からも……。そして私同様、人生の教えを受けた”塚田学校”の弟子たち。そこに私ごときが加われる訳がないのですが先生のご逝去を知り、想いのままに綴ったブログの記事を読んでくださったご長男の正晃さんがお声を掛けてくださり末席に加えて頂きました。ありがとうございました。
 → 師匠の死 塚田圭一先生ご逝去




お別れの会でも、偲ぶ会でもなく、思い出を語り、披露する場。コンセプトは先生の残した言葉「明るく楽しく」。皆さん、とっておきのエピソードをご披露。写真をコラージュした動画、先生のメディアでの功績を綴った映像と懐かしいものから始めてみる表情、お姿など盛りだくさんでした。



森光子さん、吉永小百合さんが発起人を務めた先生のご著書『歌舞伎・ザ・エンターテイメント』の出版記念パーティー、勘三郎丈の襲名披露時の先生が手掛けた3D映像撮影のご様子、演出された厳島神社に歌舞伎の舞台。そして懐かしいあの浜離宮とレインボーブリッジの見渡せる会長室の風景……。

シーンが変わるごとに様々な想い出が蘇り、涙が止まりませんでした。……が、あら、ビックリ。途中で頬を伝った涙もフリーズ 先生がフジテレビ時代、プロデューサーを務めたドラマ『飛んだカップル』。でたがり(映像曰く)プロデューサーは教師役で度々登場、回を増すごとに出番も増えていったのだとか。挙句、浴衣姿、川島なお美さんを旅館の布団部屋らしきところに連れ込み、ティッシュボックスを小脇に抱え追いかけまわす……という草食系の先生とは思えない珍場面、お宝映像が いずれも故人となった恩人ふたりが「えっ、こんな共演を」と私にとってはサプライズでした(笑)。どちらからも聞いてないよ~



さすがグルメな先生の会でもあります。ビュッフェのお料理の品数豊富 そういえば明治記念館は初めてでしたがお料理おいしく、盛り付けがシャレてますね。和洋中折衷の宴で食べきれませんでした。

久しぶりに先生の秘書だった宮川さんともお逢いでき、また涙。行きも泣き泣き電車に揺られ、案の定、会が始まればことあるごとに泣き、帰りの電車でひと目も気にせずポロポロ涙を流し(いい年して失恋でもした女に見えたかしら・笑)、ひとりになっては泣き、おかげで今朝、お逢いした方からは「どうしたの……」と尋ねられるほど立派な埴輪目になりました 人様から誤解されるほど、泣いたんじゃないかしら

なお美さんが亡くなってポッカリと空いた心の穴。そこに蓋をし、なるべく触れないように、でも忘れることなくご供養しつつ過ごして参りました。加えて先生がいなくなった淋しさがとうとう薄い瘡蓋ほどの覆いを取り去りってしまったのでしょうか、どうにも涙が止まりません。なんの恩返しもできなままのわが身の至らなさ、甲斐性のなさに悔やむしかないのです。どうして大切な人は足早に逝ってしまうのでしょう。



会場の一角には先生の愛用された品々が並び、自由にお持ち帰りできるようなお気遣いがありました。私は考えた末、馴染み深い署名入りの原稿用紙を頂くことに。また終演後、大方の方が帰られた後、ふと見ると私にとてもよく似合いそうな(笑)、帽子が目に留まりました。そこで図々しくもそちらも頂いて帰ることに。



これをかぶって観劇や花見に出かけて先生を偲ぶことに致しましょう。私は原稿を手書きしませんがプロットを考える時などに原稿用紙を大切に使わせて頂きたいと思います。

そうそう、帰宅してから思いたち師匠と弟子、最初で最後の共演の記事を久しぶりに読み返しました。2009年5月号雑誌『婦人画報』の歌舞伎特集。



初めて『婦人画報』で書かせて頂いた時の記事。歌舞伎座が一時閉館し、建て替えを行う時のもので執筆のお声掛け頂き、歌舞伎の研究家の方が監修してくださるというので打合せに行ってみるとそこに先生が(笑)。まったくの偶然でしたが嬉しい共演をさせて頂きました。自分でもこの記事は気に入ってて、読み返してみると私の歌舞伎愛が溢れています。懐かしいなぁ。



彼岸へと旅立った故人にはお線香とお花だけ届けることができると言いますが私は涙と笑い声も共に届くと思います。だからこそ嬉しかったこと、楽しかったこと、懐かしいことを思い出す度に笑ったり泣いたりして、届けていきたいと思うようになりました。

最後に流れた竹内まりあさんの『人生の扉』。シミジミと聴いたのは3年ぶりだったのですが”気がつけば五十路(いそじ)を 越えた私がいる”という歌詞で足が止まりました。まさにそう。3年過ぎて気づいたら五十路を歩み始めていました。その時になって初めて実感するものなのですね。歌詞のすべてがまるで先生からのメッセージのように深く心に沁みて……。

しばらくメソメソし洪水のように涙を送ることになりそうですが心願成就し先生に褒めて頂けるように一生懸命励んでいきます。塚田先生、ありがとうございました。袖振り合うも多生の縁、そう先生がおっしゃってくださったようにまた来世でもお逢いしましょう。

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